未来への種まき~伝え続ける語り部プロジェクト~


コージさん「復興へ~支え合う心のつながり~」



 

 私は、東日本大震災が起こった3月11日から2ヶ月が経過したゴールデンウィークに、宮城県気仙沼市浜町へ被災地ボランティアとして赴いた。ニュースで見た衝撃的な映像で、自分も何かできればと思い被災地へ向かったのだが、全世界の人々が映像を通じて観た景色が自分の前に現れたときの衝撃はすさまじく、まちが消えていく災害の恐ろしさから、身震いが起こった。ボランティアに参加した当時の浜町は、ようやく電気・ガスが復旧し、水道は辛うじて確保できるほどのインフラ状態であり、まちの人々は、寄合場や体育館で共同生活を送っていた。全国・世界からの支援物資で食べ物や飲み物が不足することはなかったが、まちの人々には疲労感と先の見えない状況に対する不安感が漂っていた。

 

 そうした状況の中、私は津波で流された民家の清掃作業に参加し、泥やがれきの撤去、遺留品の捜索を行った。家が跡形もなく消え去り、残っているのは床下の骨組みだけという状態で、作業中、恐怖心や不安というよりは、あるべき家の姿が無いという現実を受け入れることができない虚無感を抱えていた。民家の持ち主から、被災から2ヶ月を経てようやく現実を受けとめられるようになったというお話を聞いて、現実の認識だけでは計り知れない心のケアの問題を意識するようになった。実際、震災から1年8ヶ月が経過した現在でも、現実を受け入れる難しさ、将来についての不安など、心のケアを必要とする人が多数いる。こうした人々への支援は今後も継続して続けていくことが大切であり、深い同情の感性をもつ日本人だからこそ、この困難に一緒になって乗り越えられると私は信じている。

 

 先ほどの民家の持ち主は、続けてこうも語っていた。「そりゃ、震災で家が無くなったり、家族を失ったりしたのはとても悲しいし、つらい。けど、命あるだけましで、前を向いて生きていかなきゃいかない」。その言葉が、復興につながる大きなヒントだと考える。厳しい現実を突き付けられたとき、どんなひとでも最初は心が折れる思いを経験する。しかし、時間の経過とともに現実を受け止められるようになり、前を向いて歩き始めるときがくる。そんなとき、浜町では支えてくれる人が周りにいたことが一番うれしかった。普段何気なく支え合っている関係を築いている人たちが周りにいたからこそ、つらいときにも一人じゃなかった。みんなで乗り越えないといけないという連帯感が、自然と湧き起こるようになったと語っていた。

 

 ここで被災地ボランティアを経験した私が言いたいのは、支え合いの力こそ苦難を乗り越えるベースとなる、ということである。万が一の大災害からの復興へは、人々の前を向く気持ちが鍵であり、そうした感情を抱くのは一人では不可能である。支えてくれる人が周りにいてこそ初めて、苦しい・つらい状況であっても前を向くことができる。今後50年の間に東日本大震災のような大災害が予測される中、私たちは万が一の事態に備えていかなければならない。今回の災害で学んだ普段の生活における支え合いの関係の必要性を、私は伝えたいし、実践して輪を広げていきたいと思う。

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