未来への種まき~伝え続ける語り部プロジェクト~


Emiさん 「小さな活動と小さな自分を信じて」



私は今回の震災において、自分の生活を捧げたり犠牲にしたりして復興支援に携わった人間ではなく、 とても中途半端な位置に立つ人間だったので、どのような立場で書いていいものかとても悩んでいます。 例えばエゴボラという言葉がありますが、私もその内の一人だと思っています。 自分の衝動で東北に向かい、自分の生活が慌しくなれば普段の生活に戻る、 現地に行ったとしても少しの滞在期間でできる少しのことしか手伝いが出来ていない、 とても誰かにこうこうこうすべきだと言えるような人間ではないのです。

    

しかしながら、こうして書くことで、同じように発災から今日までを振り返ると自分自身がちっぽけに思えてしまい、とても語れそうにないという似た心境を持つ方々に「それでも小さな活動を続けること」「自分のしたことや自分の気持ちを伝えること」の大切さを少しでも説くことが出来ればと思い、書くこととしました。どんなに小さな活動でも、自信を持てるものでなくても、それらが集まれば大きなものになると信じています。

    

私自身の東北との関わりをお伝えしますと、東京にある女子大で、仲間と一緒に発生から小さな活動を今まで続けてきました。震災直後は学内で寄付金を募り、その後大学祭において義援金付き商品を販売したり、大学の教授に震災に関連した講義をしていただいたりしてきました。初めて現地を訪れたのは夏休みで、その時は写真洗浄のボランティアに参加し、その後はそこで出会った方を訪ねるような形で東北に何度か行っていました。

         

ボランティアに行くと、帰ってきた時に東京では英雄のように扱われたり、東京で復興支援を続けていると凄い人になったりすることがあります。「偉い」「すごい」「お金ももらえないのにどうして」。皆さんもこのような言葉に掛けられたことがあるのではないでしょうか。私はとても中途半端な位置に居るので、自分の活動そのものが本当に東北の方々の役に立っているかというのにも自信もなく、その言葉に上手く返すことが出来ていません。

      

それでも何故、今もこうして頑張れるのかという答えはしっかりと持っています。冒頭にも書きましたが、誰かの小さな活動と私の小さな活動が重なって、また誰かの小さな活動が重なってといくと必ず大きな活動になると信じています。一人の役に立ったという自信が重なり合うことで何千人もの役に立つことになります。私には、一つの活動で何千人もの人々を救うことはできませんが、何千人もの人々を救うための一人にはなることができます。それを信じることで東北の人のために頑張ることを続けることができます。

           

小さな活動が大きな力になった例としてこんな嬉しいことがありました。去年の10月に大学のゼミナールの友人とともに宮城県石巻市にある木の屋水産で、流された缶詰の洗浄をするというボランティアに参加しました。私達が一日で洗うことが出来たのは流された何十万缶の内のせいぜい百何十缶。そのわずかな缶を販売しても誰かの生活を支えることはできません。しかしながら震災から毎日毎日木の屋さんに訪れたボランティアと現地の皆さんの力が集まり、何十万もあった缶は全て洗浄され、市場に出て行ったという知らせを聞きました。そして先日訪れた学習院大学の復興支援コーナーで綺麗にラベルが貼られた缶が販売されていました。誰か一人が何十万もの缶を洗ったのではなく、何百人もの人の小さな洗浄活動によって缶が商品となり、多くの人の手に渡るようになりました。

         

私のように自分のした活動には自信がないという皆さんにアドバイスが出来るとしたら、小さな力が誰かの力になり、それが集結した時にとても大きな力になり、多くの人の力になる。この過程の一つに自分がいる事に自信を持って欲しい。ということです。

         

「私のような人にボランティアはできるか不安」と一歩を踏み出せない人も、「自分した沿岸部の瓦礫拾いが本当に役に立ったのかわからない」という人も、小さな気持ちが集まった皆の力を信じてみてください。どんな活動も無駄ではないのです。

    

是非これからも直接一緒に活動することはなくても、どこかで一緒に大きな力を創っていると信じ、一緒に頑張りましょう。有難うございました。

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