未来への種まき~伝え続ける語り部プロジェクト~


東北大学H.Iさん「ボランティアってなんなんでしょう?」



この記事に目を通してくださっている皆様
はじめまして。私は宮城県で東日本大震災からの復興に向けての活動を微力ながらおこなっているものです。

せっかくですから、東北の学生としての視点でこの記事を書かせていただきたいと思います。

まずはこの記事にたどり着いていただき大変感謝します。どんなたどり着き方にしろ、ここに着いたということは何らかの東北や震災に関する想いがある方だと思います。本当にありがとうございます。

正直震災のことを1,500字という限られた字数に収めるのは大変難しい作業であります。ですので、内容を絞って私の考えや想いを綴りますね。

ボランティアってなんなんでしょうね?

自分なりの答えはお持ちですか?
無償でやること?自分を犠牲にすること?他人のために何かすること?

私はそれこそ、震災後から1年8カ月そういうことをやっていると人から言われますが、いまだに明確にわかりません。

ただ答えではないにせよ、自分なりにぼんやりとしたイメージはあります。共に歩くこととあくまで二の次ということです。

色々と賛否両論あるかとは思いますが、それぞれ書きます。
「共に歩くこと」英語で言うwithの概念に近いのかな。つまりwithというのは先に主体があって、それに付随するものというイメージだと思うのです。

あくまで、復興者(多分世間では被災者と呼ばれている人をこのように表記します)の方あってのボランティアだと思うのです。

よくあったのが、ボランティアという立場の人が「これやりたい。あれやりたい。」で突っ走ってしまうケース。あまり見ていて気持ちのよいものではなかったし、実際に復興者の方から直接聞いても迷惑だとよく聞いたものです。

自分は今宮城県の山元町という小さな町の被災いちご農家のお手伝いをさせていただいているのですが、あまりボランティアという感覚がないんですよね。

そんな立派なことしているつもりないですし。友達に家に行く感覚というか、フィールドワークの感覚というか… そんなに復興に向けて僕頑張ってるな~ ってあんまりないんですよね笑 ただたまにありますよ。自分がもどかしい時が。もっと経済や法律や農業や他の知識があればもっと笑顔にできるのになぁという時。 ただ、その辺が机に向かう原動力にもなっていたりもするので、まぁ学生のうちはそんなもんでいいんじゃないかと思っています。

次に「二の次」の話し。こっちの方が賛否分かれると思います。活動はあくまで自分の生活や勉強が先にあってということでいいと思いますし、そうあるべきだと思います。

極論だと、やりたくなければやらなくていいし、自分を犠牲にしてまでやるものでないと思います。

日本の文化の中にボランティアというものが根付いていないので今後変わっていくかもしれませんが、とりあえず僕はこの1年8カ月活動して感じるのはそれですね。

かなり言葉にするのは難しいのですが、もともと自己満足の要素がある(こんなことを言ったら本気で頑張っている方に怒られますが)ボランティアが上記のような状態(やりたくないのにやるや無理してやるなど)でやるとさらに自己満足度合いが強まって、それこそ、先にあげた突っ走る活動になってしまうのではと思うのです。

つまり、やりたければやればいいし、気持ちが乗らなければやらなくていいし、そこにやっている人が無理やりすすめなくてもいいし、まぁそんな感じで無理せず続けていくことが、回り道に見えて一番復興には近いのではないかと思うのです。

最後になりましたが、今回このような機会を下さった、Kizuna from Kyotoの皆さんに感謝申し上げます。

inserted by FC2 system